模倣と創造の話

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久しぶりにパーマをかけて阿佐ヶ谷姉妹から脱却したもちおもちです。

 

会った人には「相変わらず髪型がころころ変わるね」と言われますが、髪型を頻繁に変える人は「自分を変えたい」っていう変身願望みたいなものもあるそうですね。なるほど。

 

でも終いには「阿佐ヶ谷」とか「姉妹」とか呼ばれるようになったあたり、早急に変身しなければと思ったわけですよ。そりゃそうだろ!てか、「姉妹」って呼び名で個人を呼ぶなよ!!!

 

真似っこ能力

前回、前々回とふざけた話だったので、今回はちょこっとだけ真面目な話をしたいと思います。

 

私は昔から「模倣」が得意でした。

 

といっても私が友達のファッショングッズとかをこっそり真似したところ、その子より似合っちゃってましたみたいな、自慢話をする訳ではありません。こういう子は漫画「ピーチガール」に出てくる悪女・さえのことですね。詳しくは漫画を読んでみよう!

 

 

私の言う「模倣」は、例えば好きなキャラクターのイラストを何も見ずに本物そっくりに描くとか、流行のJ-POPを楽譜を見ずにピアニカで演奏するとか、そういうやつです。

 

でも特に絵が上手かったとか演奏技術がすごかったとかではなく、所詮は小学生レベルの出来を想像してもらえればいいんですが、そういった「真似っこ」が好きだったんですよね。

 

そしてそれは、「絵の才能あるんじゃね!?」とか「絶対音感あるんじゃね!?」といった才能発見のきっかけになる訳ではなく、絵を描いたり演奏することで友達や先生を喜ばせるのが単純に嬉しかったっていうだけのことでした。

 

でも大きくなるにつれて、そういった「模倣」よりも「創造」が大切とされる場面が増える。それに、「模倣」は悪とされる風潮もあります。

 

私は、無の場所から何か新しいことを生み出すというのは、あまり得意ではありませんでした。それは「人に認められる自信がない」というのも関係していると思いますが。

 

クリエイティブな才能に憧れたこともあったし、「模倣」しかできない自分に嫌気が差すこともありました。仕事でも「創造」を求める企業は多いし、そういったことが会社を成長させていくとも言えます。

 

だから「創造」がうまく出来ない自分の役割を見失ってしまう。

 

「模倣は創造の母である」

天才作曲家・モーツァルトが、他人の音楽を理解するために模倣からスタートしたというエピソードから、「模倣は創造の母である」という言葉があります。模倣という根幹がなくては新しいものは生まれないということ。

 


三毛猫ホームレス - KANEKURE - YouTube

 

私は、最近三毛猫ホームレスという音楽ユニットにはまっています。自らの口座番号を歌詞に入れてしまうという異端な楽曲「KANEKURE」や、ひたすらそばが食べたいと歌い続ける「そばが食べたい」という面白いトラックを発表しています。(soundcloudとかで視聴できるので聴いてみてね)

 

何が言いたいかというと、歌詞がぶっ飛んでるのはもちろんなんですが、注目してほしいのは彼らが同人音楽ユニットという点です。

 

既存の楽曲などをアレンジ、ミックスして新たなテイストの楽曲に仕上げる。これがまさに「模倣は創造の母」の手法ではないですか!!!同じ楽曲に対し様々なアレンジのものが制作されており、すべてが違う色を持っている訳です。

 

邦楽ロックなんかでよく「これ○○の曲に似てる」なんてことありますよね。ちょっと前で言えば4つ打ちのダンスロックばかり出てるとか。

 

それに対し1つの曲で二度、三度美味しい彼らの楽曲は本当に面白いなあと思います。昔みたいに「~ver.」という形で同じ曲がCDに何曲も収録されていてウンザリするということではなくて、原曲を元にしつつも、創造した楽曲として楽しめるというところ。

 

だから今までは「模倣」で終わっていた私も、次はそこから「創造」へと活かせる部分だけを抽出できる能力を身に着けていきたいな~と思った所存です。難しいけどね。

 

ということで、今回はかなり真面目な内容になっちゃったけど、「こいつ暇だな」と思って許してください!次からはちゃんとふざけます!では~